ふつうの子育てと一緒


【目的がはっきりすると人間は持っている力を発揮する】

16人の子どもに出会ってきた
里親Eさんのお話

個性豊かな子どもたち

私が育ったのは、3人の男兄弟の中の女の子1人という家庭で、保育士になりたかったのですが、父親が亡くなる一週間前に「お前、看護師になるか」と言ったんです。

それからずっと看護師として東京で働いていたのですが、結婚で兵庫県に来ました。

子どもができなかったので15年ほど不妊治療を続けていたのですが、最後の方に診てもらっていた先生から「もういいんじゃないか」と言われ、気持ちがストンと楽になりました。

その当時、私たち夫婦とおばあちゃんの3人暮らしだったのですが、みんな家族が増えたらいいなと思っていたので里親になりました。

もし子どもを産んでいたら「里親って何?」という側の人間だったと思います。

季節里親、週末里親を含めて、延べ16人を育ててきました。季節里親で小学2年生から高校卒業まで10年間、わが家に来ていた子もいます。この子は夜尿があって、高校時代はオムツを持参してでもやってきました。

この子にとってはうちの家が「自分の家」だったんですかね。施設の方から「この子にとっては前田さんの家が、家庭のモデルだったんですね」と言われて納得しました。

施設しか生活経験がない子どもは、洗濯したり買い物に行って自分でお金を払ったりする経験がありません。だからできるだけ機会をとらえて家庭の暮らしを経験してもらいました。

今、家にいる子どもたちは3人です。今日は、その中の一人、高校3年生の女の子の話をします。

彼女は2歳1ヵ月の時にわが家にきました。最初、すごく人見知りが激しくて、おばあちゃんだけに相手をさせる子どもでした。

施設で聞いた童謡を私と散歩中によく歌っていましたが、出会った人が「おばあちゃんと一緒でいいね」と言うと「ちがう。お母さん」と言っていました。しばらくすると、大きな声で挨拶もするし、表情も柔らかくなりました。

4~5歳の時に真実告知をしたのですが難しかったみたいで、小学1年生ぐらいになって理解できたようです。それから生みの親のことは言わなくなりました。

苦労と努力の学校生活

学校の勉強は大変でした。宿題でも時間がかかるんです。漢字の書き取りや掛け算の九九も苦労しました。

5年生の参観日に教室に行くと、宿題提出を記録した名前入りの一覧表が掲示してあり、彼女が宿題を提出していないことが来た人に丸分かりでした。

参観日ぐらいはずしてくれればいいのに…と思いません?(笑)彼女は今でもそのことに腹を立てています。

また、宿題の提出がきちんとできていないから、家庭科の調理実習に参加できなかったこともあって、悔しい思いをしたそうです。

今だからこんな話もできるけど、子どもの時に私たち里親が子どもをしっかりと支えてやれなかったことが悔やまれます。

中学校では、夏休みに漢字の書き取りをさせて漢字検定に合格する経験を積むことで、自信をつかみました。

でも中3の三者面談の時に「提出物が出ていないので、行ける高校がない」と言われました。
先生は励ますつもりで言うのかもしれないけど、こういう一言が子どもを傷つけるんです。

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